48歳!シワもひげも白髪もあるけど女は楽しい~

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どういうタイトルなんだろう?(笑)自慢か?!自虐か?!

今日は私の誕生日なのでこのタイトルにしてみました。
48歳になったけど女性としての人生を楽しんでいます!
自分からこんなこと言えませんでした。自分の年齢も。。。つい最近までw
50歳過ぎると開き直るって言うけど、すでに開き直ってる(≧▽≦)

っていうか隠すものがなくなってきて、自己受容極まっていますw

こうやって怖いものなし!最強になっていくんだわ、、、

でも、老化の恐れはあるんですよ(笑)
私は特にルックス大事だというビリーフ(信念)がある人(人それぞれ、恐れやコンプレックスは違います)なので。(私は自分が醜いと思うからこそかもしれませんね~)

別に美魔女とか興味ないし、美人でもない。そもそもブスだと思っていたからね。
だからこそ若さでカバーできると思っていたのかもなぁ、、、としたら若さが恐怖なわけなんです。

でも、そのおかげなのかなぜか10歳ほど若く見られます(笑)

お肌のケアは皆さんよりしていないほうです。。。なのに昔は一切言われなかったことを最近よく言われるようになりました。

 

「実年齢より10歳若く見える!」←(以前は信じてませんでした)
「キレイになった!」←(昔からじゃないの?wwwなんてね)
「色気がある」←(女性としての自分を肯定したら言われるようになった言葉)

※これを言われることが女性としての価値じゃないですよ~(これは「見た目」にコンプレックスがある私の一例としての話。その私特有のコンプレックスがなくなってきたから元気になってきただけ。みんなに当てはまるものではありません。以下、参照。

っ、シワもシミも白髪もハンパないんですけど(笑)
老眼だし、閉経してるし!ホットフラッシュもあるよ~(≧▽≦)

女性ホルモンが減って、ひげも濃くなってきたしーーー(≧▽≦)

でも、そんなの問題ないんですよ~
問題なのはこれだよね→

 

老化と老けるは真逆

 

老化は自然現象ですが老けるのは個人の責任。

老けると老化は別物なんですよね~

 

老けるってのはやはり気持ちや意識の影響が大きい。
例えば、言葉。

「もうおばさん」
「もう歳だから」
「もうこの年齢だから」

と悲観的になっていたらその通りの現実になります。
暗示(催眠)ですね。
(これを言っててもじつは思ってない場合はまた別)

実年齢より精神年齢。

 

執着はしてないがあきらめてもない

が理想。

 

友達とかに褒めることは自分に言って言うけれど誰かを褒めるとその人が否定してても意外なこといわれて突然意識が180度変わる!なんてことがあるから思ったポジティブなことは言ってあげましょう。
本人は気づいてない、自分は自分をよく知らないんです。だから他人の目から見たイメージを言ってあげることで本来の自分に気づく手助けになることもあるし、自己受容できて自信がつくこともできる!言葉にしてあげるって大事~。いい暗示(催眠)かけちゃえ~。
だから、私も「キレイ」「すてき」「かっこいい!」って言っていいですよ(笑)

 

若く見せようとしていない

 

年齢よりも若く見られたい!と多くの女性が思うかもしれません。
私も若く見られたらうれしい!
正直なんです(笑)

だって、見た目の恐怖が私にはありますから(笑)

でも、、、

若く見られようとはしていない

ってところが違うかな。

 

若く見られたいけど若く見られるために何かをするというよりも、抵抗を感じつつもやることをやって、今の自分が「キレイ」だと思えています。

ある程度の降参といまの自分の最高のところを観ている。。。

 

だから、満足しているんですよね~^^
ある程度は。

 

何よりも自分の好きなことをやっていると楽しいので笑顔でいられる。。。

女性の笑顔って何者にも代えがたく、一番「キレイ」って感じるところ。

顔立ちやプロポーションよりも何よりも大切なものは

 

雰囲気
品格
自信

からの立ち居振る舞い

 

だと思っています。

歩き方はその最たるもの!

人生のどん底にいたころ、ずっと下を向いて歩いていました。
そんなときはまったく魅力的とは言えなかったでしょう。

誰からも声もかかりません。

 

でも、自己受容してきて自分のあるがままを出して行くようになると自分自身に嘘がなく自分で決めたことをやり遂げたりして、責任を持つと自分という生き物として自信がつくので堂々としています。

女として、男としての自信というのは自分がやったことに対しての自信もあります。

そういう人に男女共に魅力を感じるものです。。。

 

キレイにならなくちゃいけないわけじゃない

 

今までの話は「見た目」を気にする私のようなビリーフを持っているタイプの話です。
ここで言いたいのは見た目をきれいにしよう、そうしないとうまくいかない、って話じゃありません!

自分が「いまの自分が好き」って思えることが一番なんです!
あなたの魅力を出す。というか、誰かにどう思われるか、ではなくて自分がどう感じているか。どれだけ自分に正直でいられるか。

人の評価なんてどうでもいい。誰かと比較や競争しているなんて時間と労力の無駄!
美しさ、とは見た目や正しいルールに沿ったものではなく、一人一人の個性から湧き上がるもの!
でも、人の評価が必要なプロセスの時期もあります。
要は今を感じ、赦し、認めて、そこをきちんと過ごそうよ、ということです。
今の自分をそのまま認める。そこが一番大事。

あなたの魅力ってあるがままに生きているとどんどん放たれると思います。

それって、何歳からでもいい!
あきらめなくていいんです。。。

 

年齢に左右されない生き方

 

年齢によってあきらめること、ないですか?

物理的に無理でも一度挑戦したらいいと思っています。

本来の自分になるとね、抑圧してたものが出てきて、やってみるとめちゃ楽しい!ってなったりします。

神輿も、一度やめた歌も、英語も、、、やりたいことは何でもやろうって思って始めたらすーっごく楽しい人生にさらにさらになってったんですよね~

 

初めからあきらめることこそもったいないと思います。

これは恋愛においてもそうですね。

「彼氏ができない」「結婚できない」と思うとできなくなります。「できない」というのを脳にインプットさせないようにもうすでに叶っているイメージすること。

意識のプログラムは「結婚している(現在進行形)」という思うことで現実化するんです。

決めること、、、

さて、48歳の私はこの一年何をしようかな~(≧▽≦)

年齢なんて考えずにやりたいことをとことんやりたいことを直感のままにやって行こうと思います~!!!

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仲良し家族は本当に幸せか?

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昨日の誕生日は日曜日のお話し会の準備!(やればやるほど楽しい♪)して、夜は相方と食事でした。ふと、誕生日のエピソードを思い出しました。

子供のころ、誕生日プレゼントをもらったことがありません。

いま、頭の中でどんな言葉が浮かんだ?

「かわいそう」

「親が居なかったの?」

「貧乏だったのかな」

人は自分のメガネを通して人をジャッジ(判断)するものです。。。

それは自分自身にもやっている。

でも、その創作ストーリーをやめて客観的に見ることができたら、、、

それがあなたが欲しい幸せってやつになるんだろうな・・・

さて、私はなぜプレゼントをもらえなかったのでしょうか?

答え!

それは「私がもらってなかった」と思ったから。

本当はもらっていたんです。何を?

それはのちほど。。。

私は四角い箱に入ったリボンがついているものが欲しかったんです。それが私にとってのプレゼントで、プレゼントをもらうことが愛している証拠だと信じ込んでいました。

「あぁ、やっぱり私は愛されていないんだ。大切にされないんだ。生まれてきちゃいけなかったんだ。。。邪魔者なんだ・・・」

そうやって拗ねて生きてきた。

それが一番の生きづらい原因で親のせいで私は幸せになれない、弟は可愛がられたのに、、、と恨んで生きてました。

それらが自己探求で徐々に変わって、最終的にその思いが消えた。。。

奇跡だった。消えるなんて思ってもみなかったし、それこそが私を苦しめていると思っていたのでびっくりだった(笑)

さて、私がもらっていたプレゼントとは・・・

ケーキです!🎂

家族みんなで食べるケーキ。
確かにうちは裕福ではなく、子供が3人、そのあともう一人。計4人の子供。
必ず誰かの誕生日にはケーキを買ってみんなで食べる!のが習慣。
12月生まれの私はクリスマスケーキと一緒にされていたので余計に「私は要らない子なんだ」みたいな想いを強めていた。。。
(ちなみに深いビリーフは後々、自分で癒してあげれたわけですがそこの私を責めることなく、その思いは大切にしてあげながら、そこをどうにかしようとせずとも気づくとこの思いはなくなりました~)

母は世の人が言う「いい母親」ではありませんでした。
そんな母が大嫌いでした。「母親らしいことしろ!」といつも母を恥ずかしいと思っていました。
プレゼントをくれなかったことだけではありません。

「子どもを愛せない悪い親」

そんなレッテルを母につけて母を恨むことで自分を正当化させていた。

でも、その創作ストーリーから離れてよーく観察してみると本当のことに気づきました。

 

「愛されていた」

 

のです!

私は十分に愛されていた。そのことが腑に落ちたときに過去が消えた。すごい涙があふれ出ました。。。産んでくれただけでありがとう!って感謝になった。

私は私の理想像に当てはまらないから勝手に思い込んでいたです。そして、母とはこういうもんだ!親ってこうであるべきだ!そうでない親はダメ!
うちはひどい家庭・・・私は可哀想な子、そんな風に勝手なアイデンティティを創作して生きてきました。

家族って仲良しであるほうがいいに決まっていると当然ながら思っていませんか?思う間もなく決まりきったことと。。。

でも、これも同化してしまっています。常識や集団意識から。

人それぞれの幸せが違うように家族の在り方も違います。プロセスもあるから時期というのもあり。

なのに、一つの答え「家族は仲良くあると幸せ」にすべての人を当てはめようとすることこそが不幸。誰かの、定型の、幸せにしようとするから苦しみが生まれる。偏見が生まれる。

血のつながりなんて私には縛り、にしか感じません。美談をするため、正当化するためのもので本当の幸せは一人一人がその性質を尊重しあい、自分らしくある生き方をすることが心地よいと思っています。それすら私の考えですから縛られているほうが楽な人だっている。

大切なのは自分として生きているか、ということ。

あたかも当然のようなことは常に疑ってください。クリアな目で偏見なく見る。信じている事実に距離を置く。

 

私はプレゼントをもらうことが当然、と思っていたのでもらえない自分に理由をつけていたんですね。自分勝手な。

でも、じつはとても幸せだったんだ、、、と感じられた。
そのことこそが私を解放させました。

自分で鎖をきつくしていたことに気づいて、徐々に緩ませていくともう感謝しかなくなった。

そうやって自然に感謝できることが幸せです。

「家族だから仲良くあるべき」

「家族(親子)はいつも一緒にいるべき」

「親は大切にするべき/面倒みるべき」

「子どもにはきちんとしつけをすること」

「血のつながりは強い」

「親孝行すべき」

「夫婦がいつも一緒だと仲良し」

その考えこそが幸せを奪っていることもある。誰かを不幸にしている。自分を不幸に。。。

状況としてそうせざるをえないこともありますが常に固定された考えから一歩引いてみることは誤った判断、選択をしないためには非常に大切。

ここができる人とできない人の差は大きい。

固定観念に飲み込まれているのか、クリアな視点で見ているのか、、、

「愛されてなかった」→「愛されていた」

は後から気づいたことですが過去の記憶は上書きされました。

 

でも、別にこのように親との問題が解決されなければいけないわけでもなく。
それぞれのプロセス。

家族で旅行行っていることが仲良しの家族なのか、両親が子供を抱えて笑顔で写真に写っているから幸せな家庭なのか、「大好き、理想の理想の親です」と言っているのがいい子供なのか。兄弟姉妹が仲がいいと素晴らしい家庭なのか。いいしつけをしてきた、と言えるのだろうか?夫婦が長いからって、いつも一緒だからって、本当にずっと幸せだったのだろうか?

そこに重きを置くのもいいし、それが家族って思う人もいるし、、、

でも、忘れてならないのはそれがほかの人にも当てはまらないってこと。自分の理想を他人に求めたらお互いが苦しくなるからね。

家族って近いほど色々と浮彫りだされる感情とか事件とか。。。

決して常識や意識に振り回されずにどうぞ。

「家族と仲が悪いからあの人は可哀想」と思うなら、そこで終わらせず、あなたが家族になればいい。

そういった観念がないうえで親に優しくしたければすればいいし、できない自分を責める必要はない。

ハンドリフレクソロジーで「家族の手は神の手!」とうたっているのですがこれは別に血のつながった戸籍上の家族、だけではなく、だれもがコミュニティーに居て、助け合う家族であると思っています。

身近なのは親子、ですが、そうでなくても隣に居る人だって宇宙の家族であることに変わりません。

隣に居る人、が家族。つながっている。(ひきこもっていたってだれかと繋がっている。。。一人じゃない。)
そこに一緒に座って、話したくなければ何も話す必要はありません。
手を取り、リフレクソロジーをする。アドバイスも何も要らない。あなたの手があれば。

触れることは愛すること。by 山口創

この言葉が大好きです^^

 

12/21→2/3にやります!

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毎月第3木曜日 19:00-21:00

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生まれてきてくれてありがとう

誕生日によせてつらつらと出てきた・・・

『生まれてきてくれてありがとう』
この言葉を昔行ったイベントのもらったマーチャンダイズに
書かれていて、なんとも言えない違和感があった。

小さい頃から「生まれてきちゃいけなかった子」と

思い込んで大人になって
いろいろやってその想いが消えたとき
自分で自分に

『生まれてきてくれてありがとう』

と想えた。

するとすでに周りにいる人みんなに想えるようになっていて
違和感があった言葉がまるでべつの意味を持っていた。

親から愛されなかった、という想いがある人間には
抵抗があったり、親に言ってほしかったと思ったり。

でも、
「生まれてきてくれて」
をはしょってるだけで

じつはいつも本当は
言われているのかもしれない。

だって、「ありがとう」はそういうこと。
あなたが居なかったらその「ありがとう」は無かった。
その時生まれてなかったはず。

「ありがとう」が生まれるのはあなたがいるからこそ。

あなたの存在は尊くて、あの人の命も尊くて。
人間だけじゃない、すべての存在がほんとにありがたい。

そう思えるようになったら
「生まれてきてくれてありがとう」
が自分の口からも出ている。

隣に居る人に、命をくれる動物や植物に、
楽しい場所へ運んでくれる電車に、
声をかけてくれる人やものにも、、、

みんなが誕生してくれたからこそ
この世はできている

私は生きている

全ての存在は「ありがとう」そのものだ。

全ての存在に「ありがとう」を言いたい日。
それが私の誕生日^^