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昨日、大切な方の大きな手術がありました。手術の始まる時間に祈りを捧げました。
願い、のエネルギーって不思議ですが届くんです。
スポーツの試合とかも観客のパワーとかで導かれるように勝利するってことありますよね?
闘っている本人だけではなく周りのエネルギー、パワーって影響します。
物理学的にみても。
氣がその場の波を変えている。。。
但し、基本的には自然の摂理に乗っていなければ最善は起きません。
誰かのことを案じて、念じてしまうのはご法度です。
なぜなら・・・
★
「念じる」と、自分のエネルギーを相手に差し出すから自然の摂理から離れて、違う渦、循環に行ってしまいます。
お互いに影響してしまって本当に必要な最善が起きません。
例えば、親が子供のことを心配して、「いつもあの子が幸せに入れるようにって念じているの」とします。いつも幸せでないとこの親は「自分が」苦しいんですね。
これは自然の摂理から、本質から逸れています。
こういう人が「念」じるんです。「念」を送ってどうにかしようとしています。どうにかしようとした時点で相手の領域に入ってしまいますから相手も自分も人生が狂って行きます。
「願い」は愛から自然に出てきていますが「念じる」は傲慢さ、エゴがあります。コントロールしたい、と思った途端に自然の循環から逸れて行きます。そこから苦しみが生まれます。
念じるほうもそこへエネルギーを使い、他が疎かになるため支障が出てきます。
念じられたほうも余計なエネルギーを浴びるせいで自分の循環が狂います。
何かうまくいかない、というとき誰かの念がついている、なんていう表現はこのせいかもしれません。
念って、存在しています。目には見えないけど、死後も「念(想い)」はこの世に残る。
死んでいる人より生きている人の怨念のほうが強力だ、なんて言いますが生きている人の念のほうが強いんです。同じこの世の念のため、影響が与えられやすい。
自分へ何を念じても構いませんが他人のことを念じるのはやめたほうがいいでしょう。
変な氣を送ってこないで~~~(笑)
「念」には利己的なエネルギーが入っています。
あなたはあなたの人生を生きて下さい。
誰かをコントロール(あの人が私を好きになりますように、とか、あんな上司痛い目に合えばいい、とか)するようなネガティブなエネルギーは自分へ帰ってきます。循環していますから。
一見ポジティブなものも(親が子を愛する⇒これ、本当の「愛」じゃないんですね。利己的な愛は愛ではありません)じつは違うものなので自分のためにも相手にも悪影響。
私の経験→「あなたの幸せを私はいつも念じているの」と言われて「ひぃ~!」と寒気がした私(笑)目の奥に「念」がありました(笑)バレバレですよ、、、(;・∀・)
「子供の幸せをいつも念じているの」←あ~、だからうまく行かないんだね、あの子たちは。。。💦
セラピストさんは特に気をつけてね。「元に戻る」ことを後押しするのが役目なのに「私の力で症状を治す」とか「結果が出さなければ」「この症状を取らなければ」とやることは相手のエネルギーを信用せず、無理やり動かすことになります。しかも、「可哀想」とか「期待通りに」とか思った時点で最善は起きません。これは結局相手のためではなく自分のためになっているからです。
神社でもそうですね。ただ自分の欲望を叶えるために手を合わせる、お参りするのは我欲です。願いは利他の心があり、自然の摂理から生まれますが我欲が入ると「念」になってどうしてもそうでないとダメ!という余計で澱んだなパワーとなります。
常に穢れを祓って、すべてを信じること、クリアで、生かされていることに感謝できているかどうか。。。
願うことは素晴らしいですが念じることは気をつけてね。
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