強制される善意~母の日が恐い

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母の日が嫌い。

なんて言ったら非国民とか冷たい人とか

何かダメな人、みたいに思われるかもw
でも同じ想いの人は結構いる。

そこにはこんなビリーフがくっついて
違和感があるゆえに抵抗するのだ。

強制される善意

こんな無言のプレッシャーを抱えてはいないですか?

プレゼントは愛情と比例するのか?

このテーマを書くのは若干不安がある。
文字で伝えづらい、文字では本当に伝えたいことが伝わらない可能性がある。
でも、昨日セラピストの友人との会話をして書こうと思った。

善意と言うのは強制されるものではないのに風潮的にそれが強制になるときがある。それは個人ごとに捉え方が変わるので全く気にならない人もいればとても嫌な気分になる人もいる。

嫌な気分になる人には何かしら「嫌な体験」がついている。嫌なビリーフが。

私もその一人。
性格的になのか、後からついたビリーフのせいなのか。

「何かしてあげなければならない」「プレゼントをあげなくちゃいけない」

というビリーフが強すぎてプレッシャーになっていた。
そのあとにつくセリフは「みんなと同じように」とか?

「母の日に何もしないなんて子供として最低だ」
こんなビリーフや
「母を大切にしている=いい子供」
こんなビリーフがあった。

 

でも、なんだか世間の母の日商法に乗っかりたくないというひねくれものは母の日に何もプレゼントをしない自分を「悪い子供」と位置付けた。
抵抗する自分は世間の人から外れた人間だと、、、

そこには『罪悪感』が生まれる。
この罪悪感を何とかするため、心の中で自分なりの言い訳をする。
その言い訳はじつは深い深い心の傷とつながっているんですが・・・

今ではSNSでみんながつぶやく「母の日にプレゼントした」とか母のエピソードとか心温まる写真がわんさかアップされて、やっていない自分は気分が落ち着かなくなる。
「プレゼントをしなければ非国民なのか?」
「母親を大好きでないと人間としておかしいのか?」
そんな思いを抱く人もじつは多いのでは?

 

言う権利を奪っているのは自分自身

結婚して、もう一人の母ができて、個人的に母の日はもう一つの重たい嫌いな日となった。
姑は自分で「私の誕生日にはこれを頂戴」「母の日は何をくれるの?」と言える人だった。

強制的にやらざるをえない状況に不満を抱え、常に支配的な彼女が私は悩まされ、会うのも嫌になった。

姑=嫌いな人、嫌な人、となった。

冷静に考えてみよう。
ここで起きているのは『嫌な姑に悩まされる嫁』である。
もしくは『威圧的で支配的な姑』とか。

長い間、それを疑わなかった。

視点を変えてみよう。
じつは誰も悪くない。

ここで問題なのは姑ではなく、姑に対して嘘の対応をしている私の行動、思考である。

私が私の考えを述べることを避けて、言いたいことを飲み込み、勝手に姑を悪者にしている。。。事実の正当化、自分への正当化である。

姑は単に自分の希望を述べているだけなのに、、、。
私にも言いたいことを言える余地はある。。。

私が持っている「姑には逆らえない」とか「大人の対応をすべきだ」とか「母の日にカーネーションをあげる」といったビリーフがなかったらこの問題は全く起きない。

(起きないようにすることがいい、という話じゃないですよ。)

私にも言う権利があるのに奪っているのは私自身だということ。
自分がクリアになってくると誰のせいにもしなくなります。

自分の気持ちを優先させ、罪悪感がない状態は私の思考ひとつで事実が変わりました。

 

もちろん、それでも人は「よく見られたい」「いい人でありたい」「好かれたい」と思うものですから母の日の反応は免れません。。。(笑)

母を想う子・・・には多くの人がポジティブな印象をお持ちでしょう。

ここで言いたかったのは私たちはどれだけ自分の意見や想いを押し殺し、それを相手のせいにしているか、、、ということ。

 

『キレイごと』に支配されなくていい

世の中にはキレイゴトが多すぎる。
清く正しく美しく、あらねばならない、と思いすぎて窮屈になっていたり、自責的になったり、、、
議論すればだれもが気分よくなれるように気を遣ったり、その場を収めることをコントロールしたり、、、

でも、その場で悪いことが起きてもそれが結果的にみんなにとって必要なことだったりする。。。

その場を繕う

ということをやりすぎると本質からそれて、絡まる。

自分に嘘をつかず、相手にも本当のことを言う、、、それこそが本当のコミュニケーションです。

 

常識的な行動や態度は社会生活には必要です。
でも、そこから外れたり、うまくできなくてもいいんです。

善意は強制されるものではなく、強制している(と感じた)相手を憎むことも必要ない。
そんな風に感じた今年の母の日でした。

「天国の母に言葉を贈りました」なんて”いい話”で終わらせようと一瞬でも思った自分に笑っちゃいましたwww

 

☆☆☆

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介護・介助でツラかった時したこと①

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母のガン治療のとき、

父のくも膜下出血のとき、

私がつらかったこと・・・

母の治療のときはすでにセラピストとして知識も思想もできていましたので父のときと違いました。

父のときは半身不随になった父、意識不明、麻痺した半身、記憶喪失、半側無視、将来の不安・・・

知識も経験も初めてでただ情報を集めてやれることをひたすらやってました。

母のガン治療では色々な知識があったし、心理的なもののベースもできていました。

それに自分自身のことも自己探求してクリアになっていたので父のときとは全く違ました。

でも・・・

ツラいときはつらい。

よね?

精神的なストレスや体力的なもの・・・

・治療方針(西洋医学と自然療法、医師の善し悪し)
・会話(励まし、愚痴を聞く、、、)
・金銭問題(治療費、入院費、借金発覚)
・兄弟姉妹との関係(誰が面倒みるか、とか後ろめたさ、とか)
・付き添い問題(仕事休む休まない)
・匂い(シモの匂い)
・副作用
などなど・・・

まず、今日は治療方針。

がんの治療は都度選んでいくのでその度に家族で話し合います。が、基本的にはやはり本人(母)が決めること。

でも、母はとにかく「先生=神」みたいな昔ながらの人だったので、医師の言いなり💦というか、反論するような気力もなく、ただただガンということにショックを受けていましたし、「がん患者」であるということに自分を置き、失意のどん底みたいに常におりました。

そんな母に「それはよく考えろ」とか「他にも選択肢がある」「先生じゃなくてあなたが治すのよ」「病気はメッセージだよ」と言ってもそれは母を追い込めることにしかならず・・・

もう自分で選択できないくらい弱っていく母にこちらも「がんばれ」とか「だいじょうぶ」とかありきたりの言葉しかかけれなくなって、、、でも、そんな姿をみたくない姉も兄も優しくするというよりも逆に声を大きくして「しっかりしろ!」なんて怒鳴ったりして・・・

私は私で抗がん剤治療反対なので「知識ないから知らないだけだ」と”自分と向き合わない”母に不満がありました・・・(当時はね)自分で気づくことなのにね。

もう家族みんながイライラしていたなぁ。。。

精神的に限界になるんですよね。母は弱音ばかり言うし、抗がん剤治療でどんどん痩せて別人になっていく母をみていて、本当につらいですから。。。いいのかな?ほんとうにその選択で?と日々葛藤。兄弟姉妹で意見が違うとそれも大変で。

でもね、か細くなっていくけれど、母の性格は気性が激しく、頑固だし、言い争うくらいお互いにストレスフルでした。自分の身体が思うように動けなくなってヒステリック常に母にイライラ、ぴりぴり、、、

これはいかん。そう思いました。母の見た目だけをみて、会話をしているべきじゃないって思いました。母の本当の訴えはなんだろう?と。

そんなとき、私ができること、、、それは今の母をそのまま受け止める、受け入れることでした。そして、そう思えたら、母にイラつくことが減って、普通に話せるように。自分の意見を押し付けることが母の助けになるどころか苦しみになる、と教わった。。。

もともと、私は母の性格が大嫌いでしたから(母は好きでしたよ、もちろん)いつも見下げていたんです。あまり母とも話すこともなく、母親としてあまりいいイメージのなかった母とは仲が悪かった。

でも、私も自己探求で変わっていました。母がガンになる少し前に「母に愛されていなかった」から「母に愛されていた!」と変わり、これからいろいろと母と話をしよう、一緒に出掛けようと思っていたのに、、、それは叶わなかった。けれど、病院でたくさん母と過ごすことができた。

母の治療で初めて母と近づくことができて、素直に話をする機会に恵まれ、わかったこと、勘違いしていた事実、、、

母と穏やかに話ができたとき、本当に嬉しかった。

すると、いろいろと親に対して思っていた悲観的なこと、記憶がじつは勘違いだったことを知る、なんて場面もあったり、母の幼少期の知られざる事実を知ったりして今までのことが許せるようになったり、、、なんてことが起こったんです。

私が母に優しくできたとき、母も素直になって話をしてくれて生まれて初めて母と分かりあえた感じがしたんです^^

素直に(恥ずかしかったのかも)母と会話をすることができなかった私がリフレクソロジーというツールを通して、母とコミュニケーションできたことは人生の大きな節目だったかもしれません。

この続きは副作用の話で・・・

 

 

10/27(土)岩手県花巻

ハンドリフレクソロジー体験会https://www.facebook.com/events/2241143479463436/

※東京は随時開催(希望の方はご連絡ください)

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10/21 まじめなセクシュアリティのお話(11月もあります)

⇒ https://resast.jp/events/294918

10/21 医学&スピリチュアルから観た女性の身体トラブル

https://resast.jp/events/292099

双葉お茶会(瞑想やお話

本質への気づき「カフェ・プラクティス」

毎月第3木曜日 19:00-21:00

https://www.reservestock.jp/page/event_series/28876