過剰になってない?介護、介助、子育て

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「私がやらなければならない」と
過剰に介護や介助をして自分を追い込んでませんか?

それは誰のためにもなりません・・・

子育てでも過干渉してませんか?

介護で疲れる人たち

 

介護は疲れる。。。
私が小学生の頃、祖母の介護が始まった。

「垂れ流し」

が、いまでも耳に残っている言葉。

朝目覚めると枕元に汚物が。。。そして、失禁物の匂いが充満してた。
私たちに嫌な思いをさせたくないと父は必死に廊下を毎朝掃除してた。
その後ろ姿をいつも見てた。
そして、心臓の悪い父方の祖母も加わり、介護は二人になった。

母がその後、介護のストレスからか乳がんになったときも真っ暗な部屋のなかでうなだれている父の背中を見て何もできない子供の自分を恨めしく思った。

そんな経験を持つ私は知らぬ間に「介護」が恐怖となっていた。
老人が恐怖だった。と何十年もあとに気づくのだった…

それから20年後、父はくも膜下出血により半身不随となり父は自分が介護される側になった。
奇しくも地方公務員として障害者センターで障害者たちのケアをする仕事だった父。
車いす、装具つきでトイレへ自力で行けるようになったけれどそこまでのリハビリは想像を絶する数年にわたる努力の結果だった。

「一生歩けないよ」と医師に言われた父はそんな言葉を信じずに一人で暇さえあれば立ちこみや筋トレをしていた。法律が変わってリハビリが中止されてもあきらめなかった。
その姿をみて、あきらめないということを父から教わった。

 

がんばりすぎない介護がお互いのためになる

数年後、どこにも施設が受け入れてくれなくなり、あの母が決心し、父は自宅へ。
昔からケンカが絶えなかった二人だったのですがそれ以上に父は右の脳に出血したため感情のコントロールができにくく、思ったことは口に出し、激高したり、車いすのまま杖を使って暴れたり、妄想で母が出かけるのを嫉妬したり、疑ったり、、、そのせいで母はかなりストレスだったみたい。

母は不安症的な気質があり、HSP気質だったので些細なことでもびっくりしたり、人よりも恐怖や不安、リアクションが大きい人でした。

だから父がトイレへ行くときなどに車いすから立つのですがその際、いちいち着いて行って父の身体を支えようと触ると父はそれが逆に怖くて「やめて!」といつも母に言ってましたが一度転倒したことがあるため、母は辞めず・・・父は本当にストレスをためていきました。母も然り、、、こうやって日々ストレスがつもって母はまたもや偶然なのか、今度は胃がんとなり約2年ほどで帰らぬ人になってしまいました。。。

一番悲しんでいたのは父でした。

 

過剰な介護は介護者の回復力を奪っている

介護って千差万別です。色々あると思いますが、、

手を貸すことが介護じゃない。と思うんです。
なんでもやってしまったほうがある意味面倒じゃないんですが、、、尊厳失うと認知症になったり、認知症が進んだり、やる気がうせたり、生きる意欲がなくなります。。。
自分の生きる意味を無くすことはお互いにとって良くない。

やってしまいがちですよね~

認知症でもいえることですが本人のやれることを奪わないこと。
生きる力を介護者が奪わない。

自分で動く、頭を使う、というせっかくのリハビリの機会を過剰な介護をすることで衰えさせているということを忘れないでください。

 

 

介護者との関係性

 

そういったオシメを交換するとか様々な介護以外のことやあぶりだされる二人のリレーションシップのストレスがメンタルに多大な負担を与えていて、車いすで自由に動けない父のフラストレーションもたまに爆発、介護で自由に出かけることもできない母も爆発。

でも、これ、じつはがんばりすぎちゃう思考が悪循環にさせていたのです。。。

 

母は完璧主義に見えないけどじつはこういう想いがあったと思われます。

「ちゃんと介護しなくちゃ」
「(お父さんに何かあったら介護している)私に責任がある」
「一人でがんばらなくちゃ」
「子どもに迷惑はかけられない」
「周りの目が気になる」

まじめなタイプ、いやそうでなくても日本人は結構そうかも、、、そうやって自分をどんどん追い込む。。。

 

これって、子育てでもそうですね。。。

 

少し手を抜くことがお互いのため・・・

 

子育てでは過干渉といいます。
やりすぎな関わり方は相手のため、自分のためになりません。

一生懸命になりすぎて自分のことができていないのは不幸です。お互いの、、、

介護って手を抜きながらしないと本当に壊れます。
精神的にも肉体的にも。。。

そして、過剰な介護や介助、関わり方はとってもやりがちですがお互いのためになりませんのでやめましょう。。。

介護はがんばるもんじゃなくて、適当に。。。適度に。時にはユーモアも必要で^^
完璧じゃなくていいし、誰かに頼ってね!

子育ても完璧にやろうとせずに放任くらいが自立したしっかりとした子供に育つ!

人それぞれのしつけ、介護の仕方でいいと思うよ~~~

生き方もね^^

 

☆☆☆☆☆

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病院の付き添いストレス解消

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母が癌の治療をしていたとき病院の付き添いはまあまあ大変でした。

大学病院だったので一日がかり。

抗がん剤治療でガリガリに痩せた母は体力もないし、不安症だったので

診察を待っている間も可哀想だし、会話や様々なことが私もストレスでした。。。

1時間半の道のりを週に一回、多いときは二回、母の付き添いのために大学病院へ行っていました。入院中は行くだけだからまだ楽でしたが外来診察は予約をしていてもかなり待たされる。。。

腫瘍科センターはガン患者とその家族だけの部屋になっていて、他の科とは区切られていたのですが他の科も受けることがあるときは大勢の中で待たなくてはいけないので病人にはとてもしんどい。。。音(人の声、アナウンス)や人のエネルギーももろに受ける。

 

病への恐怖と不安は治療に悪影響

治療に必要なのは治療に耐えうる患者の体力、精神力、治療自体の性能、そして医師への信頼。

それらを支えるのは自分で「治る」という意識

ですが、、、色々な不安や心配をするのは当然です。でも、そういったネガティヴな感情は治療には悪影響なこともまた事実。

私の母はとても怖がりで自分で自ら病人になってると思うくらい先生のネガティブな言葉を倍にして心配材料を増やし、「どうしよう!!!」とパニックになってました。

だから診察を待っている時間は重苦しい空気、、、ネガティヴな発言と希望を含めた頑張って探したポジティブな言葉や励ましが入り混じって、何とも言えない空気が漂っていた。

 

私にできることはなんだろう・・・
私も何かしたい!

 

私がセラピストになったきっかけは15年ほど前の父のくも膜下出血。
そのとき、『何かしたい!』と自分が何もできないことが歯がゆかった。
私は人を助ける性質タイプなのでこれが人一倍強かったかも。
3.11の震災のときもすぐにボランティア活動を探した。(それで撃沈したんだけどw学びだった)

家族が病気になったとき、友達が病気になった時、何かしたい!と普通に思った。

寝たきりで意識もない父にできるのは足や手を触ること、声をかけること、だけ。
ちょうど仕事も不安定だったこともあり、手に職をつけられるし一石二鳥だとリフレクソロジーを始めたのだ。

そして、父の快復まで、施設、帰宅後、、、と数年の月日のうちにリフレクソロジーは私を助け、父を助け、周りの家族も助けた。

 

介護や治療中に必要なのは患者と家族の精神的な安定

その約8年後、父の介護を10年やってきた71歳の母が胃がんになり、抗がん剤、放射線治療を行い、それまで元気だった母は治療は初めて見る見るうちに別人になり、骸骨のようにやせ細り、治療の甲斐もなく天国へ逝ってしまった。

治療の付き添いで困ったのは母との会話。

母が大嫌いだった私は40代でやっと自己探求などによってそこが解放されて、母ともっと話そう!♪一緒に出かけよう♪と喜んでいた矢先のガン発覚だった。

人生はなんと皮肉にできているのか。。。とその時は思った。
でも、これは皮肉でもなんでもなかった。必然、いや最善だったのだ。

この治療で母に付き添うことができて、母と沢山話すことができた。
それも恥ずかしいから昔はできなかった。
ところがリフレクソロジーやアロマが私にはあった。
根っからのヘルパー体質だからそこは躊躇なく、それが私の役目だ!とばかりに(というかそれしかなかった・・・)リフレクソロジーを必ず行った。(もちろん本人の確認を取って)

母の笑顔が増え、私の笑顔が増え、母へのネガティヴな感情や思い出が書き換えられていったすごい経験だった。もっと早く母とこうして話ができたらな~なんて思ったけれど^^

 

母との触れ合い=心が触れ合えた最後の思い出

タッチングケアは精神を安定させて、安心を与え、オキシトシンによって幸福感が得られるので精神的に安定する。ゆったりとしたスピードと反復したリズムで行えばセロトニンも安定に供給されてメンタル面はかなり安定する。

これは患者だけでなく、施術する側がより癒される。

私は人が多いところや音がする場所が苦手なのとやっぱり病院は疲れる!!!
だからリフレクソロジーをすることでそれを乗り越えられた。マインドフルネスですね~

足じゃなくて手でもいいリフレクソロジー

あの時、セラピストとして、リケアを始めて7年ほどだった。それまでずっと「足!」と思って足のことばっかりやってきた。足がメインだった。

でも、この母のことがあって「手」、そして家族がケアをするということがこれからは必要だと気づいて「家族の手は神の手!ハンドリフレクソロジー」と銘打って一人でも必要な方に届くといいな~と活動を開始した。

手も足と同じく反射区が存在している。

そしてタッチング効果は足よりも勝る。

病院の待合室で、病院の通院中の車内で、自宅で、自分で、入院中も、、、どこでもいつでもだれでもできるハンドリフレクソロジーは最強だと実感した。

 

親に断られたら

親に触りたくない、親が触らせてくれない、、、という声も聞きます。
そこ、ちょっと勇気を出して見て。
ムリにするのはご法度です。押しつけの施術は絶対にやらないでください。
特に病気をしているとき、家族でも本人の意思を尊重することが何よりも大切。
(病気をしているときは不安が多く、神経質にもなりやすいので家族との摩擦も生じやすいです。だからこそのツールなので逆の使い方をして拒否されたら意味がありません~)

でも、、、じつはやってほしいけど誤解をしていて断っているケースがあります。

フットケアのボランティアをされている人の話で施設のなかで頑なに「私は結構だ!」と断っていたご婦人がいたそうです。

でも、みんなが「気持ちい」と言ってるのを毎月みていて、いいなとは思ってたものの素直に言えてなかっただけでした。
ある日、セラピストさんが諦めずにその方にも声をかけるとなんと答えはYes。

そして、終わった後、そのご婦人は「すっごく気持ちよかった!お姫様になった気分!」とそれから毎回受けるようになったとのこと。

「嫌だ」と一回断っても「今日はどう?」と聞いてみてほしいのです。

自分が触れたくない、という場合も後悔しないために自己探求のチャンスだと思って親と向き合ってみませんか?

肌に触れることは心に触れること。

色々なものがそこに詰まっていて、触れ合いエネルギーを交換することできっといろいろなものが流れ、循環し、排泄されて、クリアになるんだと私は自分の体験から感じています。

(6月に「タッチング」の講座も予定しています。)

 

 

ハンドリフレクソロジー

 5/19 無料体験会&いろいろ相談会
https://resast.jp/events/311819

 

1Day講座

6/23 https://resast.jp/events/343813

 

 

 

 

 

 

 

介護・介助でツラかった時したこと①

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母のガン治療のとき、

父のくも膜下出血のとき、

私がつらかったこと・・・

母の治療のときはすでにセラピストとして知識も思想もできていましたので父のときと違いました。

父のときは半身不随になった父、意識不明、麻痺した半身、記憶喪失、半側無視、将来の不安・・・

知識も経験も初めてでただ情報を集めてやれることをひたすらやってました。

母のガン治療では色々な知識があったし、心理的なもののベースもできていました。

それに自分自身のことも自己探求してクリアになっていたので父のときとは全く違ました。

でも・・・

ツラいときはつらい。

よね?

精神的なストレスや体力的なもの・・・

・治療方針(西洋医学と自然療法、医師の善し悪し)
・会話(励まし、愚痴を聞く、、、)
・金銭問題(治療費、入院費、借金発覚)
・兄弟姉妹との関係(誰が面倒みるか、とか後ろめたさ、とか)
・付き添い問題(仕事休む休まない)
・匂い(シモの匂い)
・副作用
などなど・・・

まず、今日は治療方針。

がんの治療は都度選んでいくのでその度に家族で話し合います。が、基本的にはやはり本人(母)が決めること。

でも、母はとにかく「先生=神」みたいな昔ながらの人だったので、医師の言いなり💦というか、反論するような気力もなく、ただただガンということにショックを受けていましたし、「がん患者」であるということに自分を置き、失意のどん底みたいに常におりました。

そんな母に「それはよく考えろ」とか「他にも選択肢がある」「先生じゃなくてあなたが治すのよ」「病気はメッセージだよ」と言ってもそれは母を追い込めることにしかならず・・・

もう自分で選択できないくらい弱っていく母にこちらも「がんばれ」とか「だいじょうぶ」とかありきたりの言葉しかかけれなくなって、、、でも、そんな姿をみたくない姉も兄も優しくするというよりも逆に声を大きくして「しっかりしろ!」なんて怒鳴ったりして・・・

私は私で抗がん剤治療反対なので「知識ないから知らないだけだ」と”自分と向き合わない”母に不満がありました・・・(当時はね)自分で気づくことなのにね。

もう家族みんながイライラしていたなぁ。。。

精神的に限界になるんですよね。母は弱音ばかり言うし、抗がん剤治療でどんどん痩せて別人になっていく母をみていて、本当につらいですから。。。いいのかな?ほんとうにその選択で?と日々葛藤。兄弟姉妹で意見が違うとそれも大変で。

でもね、か細くなっていくけれど、母の性格は気性が激しく、頑固だし、言い争うくらいお互いにストレスフルでした。自分の身体が思うように動けなくなってヒステリック常に母にイライラ、ぴりぴり、、、

これはいかん。そう思いました。母の見た目だけをみて、会話をしているべきじゃないって思いました。母の本当の訴えはなんだろう?と。

そんなとき、私ができること、、、それは今の母をそのまま受け止める、受け入れることでした。そして、そう思えたら、母にイラつくことが減って、普通に話せるように。自分の意見を押し付けることが母の助けになるどころか苦しみになる、と教わった。。。

もともと、私は母の性格が大嫌いでしたから(母は好きでしたよ、もちろん)いつも見下げていたんです。あまり母とも話すこともなく、母親としてあまりいいイメージのなかった母とは仲が悪かった。

でも、私も自己探求で変わっていました。母がガンになる少し前に「母に愛されていなかった」から「母に愛されていた!」と変わり、これからいろいろと母と話をしよう、一緒に出掛けようと思っていたのに、、、それは叶わなかった。けれど、病院でたくさん母と過ごすことができた。

母の治療で初めて母と近づくことができて、素直に話をする機会に恵まれ、わかったこと、勘違いしていた事実、、、

母と穏やかに話ができたとき、本当に嬉しかった。

すると、いろいろと親に対して思っていた悲観的なこと、記憶がじつは勘違いだったことを知る、なんて場面もあったり、母の幼少期の知られざる事実を知ったりして今までのことが許せるようになったり、、、なんてことが起こったんです。

私が母に優しくできたとき、母も素直になって話をしてくれて生まれて初めて母と分かりあえた感じがしたんです^^

素直に(恥ずかしかったのかも)母と会話をすることができなかった私がリフレクソロジーというツールを通して、母とコミュニケーションできたことは人生の大きな節目だったかもしれません。

この続きは副作用の話で・・・

 

 

10/27(土)岩手県花巻

ハンドリフレクソロジー体験会https://www.facebook.com/events/2241143479463436/

※東京は随時開催(希望の方はご連絡ください)

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10/21 まじめなセクシュアリティのお話(11月もあります)

⇒ https://resast.jp/events/294918

10/21 医学&スピリチュアルから観た女性の身体トラブル

https://resast.jp/events/292099

双葉お茶会(瞑想やお話

本質への気づき「カフェ・プラクティス」

毎月第3木曜日 19:00-21:00

https://www.reservestock.jp/page/event_series/28876