自分のため?他人のため?

(アメブロからお越しの方は★からお読みください)

 

誰もが人の役に立ちたいと思うもの。。。

そもそも人間の魂の根底にある当然の想い^^

 

でも、それが

 

自分のために”なる”のと

自分のために”やる”のと

 

では全く意味が違ってきます。。。

 

『相手のため、自分のため、○○のため・・・』

これが先にあるとき本質や自然の循環からそれていく・・・

 

この違いを取り違えていると大変なことになります~(;・∀・)

『人の役に立つ』って???

 

「人のためにやること」は目的があっての行動の結果、自分のメリットを重視しています。(無意識としても)

「人のためになること」は執着や目的がない。

出発地点が違うんですよね~

 

基本的に生きる上で自分が幸せなら他人を幸せにできます。

というか勝手に幸せになっています。それが循環で自然の摂理。

でも、他人を幸せにすることが自分の幸せになっているのは

ちょっと解釈が2通りありますので注意。

 

一つは他者を幸せにして、自分が幸せ~、終わり!

 

ならいいんです。

やること自体に歓び。自分の幸せ。

でもそこに相手の反応とか誰かからの賞賛とか承認や主張の欲求があるのは

・・・真逆の行為になってしまっています~💦

本当に人の役に立っているということは見返りを求めないもの。。。

 

もう一つは他者が喜んでくれたことで自分の存在が成り立つとか

他者が喜ばないとがっかりするというのは相手に自分への評価を期待している状態。。。

 

これは承認欲求や依存が潜んでいます。

 

人の役に立つというのは

何の見返りもなく、ただ嬉しいという気持ちだけ。

 

自分を犠牲にして他人に尽くすと依存関係になっていますので

健全な関係ではない~(健全な依存もありますが)

あとは自分の投影だったりします。

自分が癒されたいから他人を癒す、とか。

 

自立した喜びこそが本来の役割=役に立つ、ということですね^^

 

セラピーの世界って(ボディも心理も)癒される側が癒されていないことも多いです。

もちろん完全に癒されている人なんて居ないけれど、、、程度の問題。

 

知識だけ詰め込んで、技法・技術だけ詰め込んで、、、

なんて、人を癒せません。

”自分が癒された分しか他者は癒せない”

 

色々な勉強や知識をつけるのも必要ですが何よりも必要なのは

自分も癒されていること。人間ですから完全、完璧はなく日々行うことが必要なんですよね。

 

いくら難しい専門用語とか知ってても言ってることとやってることが違ってると信頼はゼロ。

そうならないように日々学びと謙虚さ、そしてクリアな意識が必要だなと思っています。

無意識にやってる場合もあったりして人間は本当に弱いものですね~

だから学びは永遠なのですよね。

 

誰のためでもない自分のためにやってますが

それが人様の役に立ち、喜んでいただき、そこに単純な喜びと興味、楽しさがあることが

みんなの幸せの循環なのでしょう。

 

独り占めしようとしたり、評価されることや欲だけが目的になったらそれは不健全なエネルギーとなっていますので幸せの循環からはそれてしまいますね~

 

心から自分が喜ぶことならやりましょう。

とにかくそこが基点。

 

こんな想いがある場合は今すぐやめたほうがいいかも↓

「あなたのためにやってるのに」

「せっかくやってあげてるのに」

「あの人のためなのに・・・」

 

誰かのために自分が我慢したり、無理をするというのも違います~

 

自分の人生を生きていれば本当はそれだけで役に立っている、役割を全うすることになります。

 

一人一人が違うからこそ、違うものだからこそ、この世は成り立っている。

一人では生きれないし、個人個人が自立していないと自然の循環は崩れる。

 

自分の人生を生きるために天命が解っていると生きやすくなります^^

 

究極、生まれてきただけで役に立ってるかも^^

何かしなければいけないということはない。

楽しく生きていればそれだけで・・・(≧▽≦)

 

それにしても純粋でシンプルなことですよね?

相手が笑顔になったら無条件に嬉しくなる、、、これが自然ですね^^