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ガンだと家族や友人に告白された時、その後、
どうしていますか?
それは突然きます。
以下はいざというときのために、双方のためになること。
親切や善意が相手を傷つけ、追い込む
これがいい、あれがいい、こうしたほうがいい、これはやらないほうがいい、あの治療がいい、西洋医学はダメ、代替医療がいい、この本を読みなさい、宗教に入ったほうがいい、、、
しかもこれ最悪⇒「これをやってたからガンになった」などと自分の固定観念やどこからか得てきた知識で言っちゃう人。これ一番やってはいけないやつ。身内だとこれ多いかも💦
という助言をしちゃってませんか?
私は失敗しました。以前、それで友人を失いました。。。
助言してしまう心理とは?押しつけになってしまったら助けるどころか苦しめちゃうよ。
そして、
ガンになった人、治療中に周りの人ができること。
お互いの関係が壊れないために・・・傷つかないために・・・
私の経験から出た答えは・・・
★
やってはいけないこと
「〇〇ガンだって」
家族や友人にそう告げられて心のなかで起きること・・・。
頭まっしろ。。。身近な人ほど本当にショックですよね。
そのあと、「ショックを顔に出しちゃいけない」「慰めなくちゃ」「何か言わなくちゃ」とかたとえ親しくなくても色々と言葉を考えますね。
家族やパートナーだったら感情移入もより激しく、怒り、とか、不安、恐怖、困惑など、色々な感情が出てきます。いろんな思考が駆け巡る。
その後、治療に入り、徐々に経過していくプロセスのなかで周りの人間がしてしまうやってはいけないこと。
「助言」「アドバイス」という名の押し付け
です。
人は助けたい、何かしてあげなくちゃという心理の他に、そこに投影が起こります。
「ガンになりたくない」「病気は怖い」「この人が居なくなったら私はどうしよう」「ガンになる理由はこれだ」などのビリーフが誰しも持っているものでしょうがここに反応して、ガンになった人に助言したくなるのです。自分の信じているものを「善意」という投影(無意識)で押し付ける。そして、相手を傷つけ、追い込む。そのことに気づかない。
病気になっただけでもツラいのに周りから責められている気分になってしまう・・・
「今までが悪いからこうなった」と。(病気は自分からの愛のメッセージなのにね)
私は母にやってました。これは「押し付けない」と頭では分かっていてもやっぱり出てきてしまうのです。。。というか、私が苦しいから母がやっていることに口を出したり、文句を言ったり、指示したり、、、「どうにかしよう」としていたんです。
自分でもそれはわかっていました。気づいていました。だから余計に苦しかった。「言ってはダメだとわかっているけど言ってしまう」という苦しみ。。。
それが治療に付き添い、入院中の母にリフレクソロジーやアロマでケアをしていって、一緒に話、自己探求もしていった結果、押し付けることは徐々に消えていって、最後には母への子供時代からの憎しみやわだかまりが一切消えた。
母は最期まで私に学びをくれたような気がしました。
助言もしょうがないこと。「心配」を不安に取り違えないこと
でもね、、、助言しちゃったよ、って方、どうかご自分を責めないで。
本当に悪気はなく、心から何とかしてあげたい!と思われたことに変わりはありません。
私も母が死んでほしくないと思ったり、セラピストとして色々口を出していました。
人はどうしても「心配」をします。
しかし、(これは先日ちょうど朝倉穂高先生が言ってたのですが)心配という字は「心」を「配る」と書きます。相手に自分の心を配ること。でもほとんどの人は心配は自分のために発生したその不安を解消するために相手に不安を与えてしまっています(*´Д`)
これが一番恐ろしいわけです。
自分の不安を解消するためにガンになった人に善意と称して押し付け、自分の不安をぶつけているのですから。。。
あわあわ。。。(*_*;
相手の立場になってみると分かること。。。
ガンを告げられない
ガンだと告げられたとき、本人はガンだということを周りに告げること、告げた後、とてもつらい思いをします。
それは病気よりもつらいかもしれない。。。
同情されたくない、心配かけたくない、何か言われたくない、情報をもらいたくない、対応が変わると今までの関係が崩れてしまいそうだったり、色々な想いがあります。
話すことで余計なことを言われたり、傷つくことを言われたり、という現状があります。
「病気の人」と決めつけられる。
ガンになったことよりも友達の態度や言葉に傷つき、心を閉ざす方も多いです。病気は治ってはトラウマになっている方もいらっしゃいます。
いろいろな想いを汲む・・・
双方ともにツラいのです。患者の心を汲むのはもちろんですが何がいいのか?と考えてしまいますよね?日常では目の前で治療している家族や友達がいて、その都度やっぱりいろんな出来事は起こっていてそこに感情も発生します。
黙っていればいい、というわけにも行かず、センシティブな問題ゆえにお互いが気を遣いすぎて離れてしまうことも多々あります。
お互いにとって役に立つこと「尊重」「見守り」
さて、双方にとっていいのは何も言わずに寄り添ってあげること。
治療も本人が決めること。尊重をするだけでいいのです。見守るだけでいいのです。
そこに自分の「恐怖」を投影しない。(境界線をひく)その人の課題です。
思考や言葉が病気をつくる、と前回のブログでお話ししましたが情報を入れることでもしかしたら余計な想像をして、不安を煽り、余計に悪化させることもあります。
「病人」「病気」にしているのは本人ではなく周りの人間かもしれません。。。
不安というのが一番のストレスです。(病気も元は恐怖や不安から起きています)
病気というのは本人が自分からメッセージとして出していて、自分との向き合いをするための大切なものです。病気と闘わせようとしないほうがいいでしょう。戦うエネルギーは治癒力を低下させます。戦わずとも症状や病気は治癒過程ですから信じて待つ、しかないのです。
「病人」「病気」にしてはいけません。
そのときにやるべきことはやらないといけません。
それは恐怖におののくことではなく、自分との対話です。
ハンドリフレクソロジーが救った「命」
患者でない人は私には何もできない・・・という無念の気持ちに陥ることもあります。
何を言ったらいいのかわからない、、、ガンに限らず、介護などでもツラい治療や愚痴をじっと聞いていることが苦痛になってくるときもあります。
お互いにとってそこで一体何ができるでしょうか?
私が最終的に「これだ!」と思い、役に立ったのはリフレクソロジーです。
しかも、ハンド(手)!
私は何か助言をする代わりに病院の長い待ち時間、入院中、バスや電車のなかでリフレクソロジーをしました。
待合室でハンドリフレクソロジーを母にすると診察を待っている間、恐怖と向き合わずに済み(マインドフルネス瞑想)、私も「話をしなければ」というストレスから解放されました。
そのあとも精神が安定して不安が軽減されている母。
何より、物理的にオキシトシンのおかげで私も母も精神が安定するのを実感しました。
材料も何もなくても家族の手、友達の手があるだけで10分、20分だけでリラックスできる。
励ましの言葉も要らない。ただ隣にいるだけでいいし、マッサージ感覚で手軽に声をかけられるし、言いやすい。これ以上のものはない!と感動した覚えがあります。
これがきっかけで足フェチ(笑)から「これからはハンドリフレクソロジーだ!」と『家族の手が神の手!』とプロジェクトを始めたのです。私の与えられた天命です^^
しかも、ホリスティックケアにもなり治療の補助になるリフレクソロジー。
慰めの言葉より、助言より、いいアドバイスよりも必要なのは隣でそのままの存在を受け入れてくれる存在。病気だろうが健康だろうが今のあなたを。
その次に何かできるとしたらリフレクソロジーをお勧めします。自分が癒されれば相手も波長が合い、循環します。。。
出すのは口ではなく、温かい手です。
3/17 ハンドリフレクソロジー1Day講座 ※1名~ 希望日承ります
https://resast.jp/events/321758
※無料体験も行っていますのでご相談ください
※Facebook「セクシュアリティ」グループ非公開
https://www.facebook.com/groups/384673228774874/
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イベントは早割がありますよ~^^
3/10 ここだけの話♡女性だけのオープンマインドランチ会@シェラトン都ホテル
https://resast.jp/events/322396
あと2席!
💕ひなまつり女子デー🎎
3/3 まじめなセクシュアリティのお話し
https://www.reservestock.jp/events/321022
3/3 医学とスピリチュアルから観た女性の身体
https://resast.jp/events/321017
お茶会(瞑想やお話)
本質への気づき「カフェ・プラクティス」
毎月第3木曜日 19:00-21:00
https://www.reservestock.jp/page/event_series/28876