食べる瞑想は何を教えてくれるのか?

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瞑想の中でも食べる瞑想が大好き!

食べる瞑想から気づけることが沢山!

ダイエット中の方、何かを止めたい方、、、
一緒に食べる瞑想しませんか?

何のために食べるのか?

 

食べ物は何のために食べてますか?
栄養を摂るためです。生きるため、ですね。

人間の三大欲求は「食欲、睡眠欲、性欲」です。
これらは自然に起こるように本能として無意識に行われています。
お腹がすいたら食べる、、、眠たくなったら寝る、、、

だから食べれば勝手に消化、吸収、排泄が行われます。

しかし、食べ方、食べるものによって栄養は変わってきます。
そして、意識によっても変わります。

 

何のために、なんて考えませんよね?

だからこそ、そこをあえて考えながら、というか、感じながら食べる。

食べる瞑想をしているとき、私はいままでとても無自覚だったことに反省させられます。

 

食べる瞑想の仕方

 

  • 食べているとき、何も話さない
  • ゆっくりと噛む
  • ゆっくりした動作にする
  • 味わう
  • 食べ物の感覚に集中する
  • 誰がつくったのかどこからきた食材かを考える
  • 硬さや温度を感じる
  • 食べているときの身体の感覚を感じてみる
  • 音に意識を向けてみる
  • 飲み込んだ食べ物がどう身体へ入って消化されるのか考える

などなど、、、

 

私に起きた感動

 

ティクナットハンがつくったプラム・ヴィレッジという寺院がタイやフランスにあります。
その僧侶たちが日本ツアーに来た際、日比谷公園で瞑想をしました。
歩く瞑想、食べる瞑想を僧侶たちと行わせて頂いた時のこと、、、

食べる瞑想で涙が止まらなくなりました。

何十人の人たちと輪になってランチを食べました。
いつもサンガでも室内で行いますがそのときは屋外。
シートを敷いて、芝生と土が見える場所。

チーンと鐘がなり、そこから黙ってそれぞれが自分の弁当箱や買ってきたものを開け、食べ始ます。周りには家族連れやスポーツを楽しむ人たちの声が響いています。

私もつくってきたおにぎりをゆっくりと食べ始めました。
一噛み、一噛み、、、ゆっくりと味わって、食べていました。
いつも思うのですが、食べる瞑想では普段感じない味やどう食べているかがよく分かります。

口の動かし方、胃の状態、筋肉の動き、、、

細かいことがじっくりと感じられる。マインドフルネス。。。

ふと、目をやるとアリが歩いています。
数匹のアリが食べ物を背中にしょって横切っているのを見たとき、涙が出てきました。

これが自然の成り立ち、、、食べ物を自分で得るために働き、運び、自分の栄養素とする。生きるために必死になって運んでいる蟻を観て、こうして食べ物が食べれるということに心から感謝の念が湧いてきました!

このお米が私を生かしてくれて、お米を作った人、運んだ人、売ってくれた人、、、すべての人の労力があって、私のこの一口になっているんです。

 

とてつもない長い旅を経ながらいま、こうして私の口に入り、私の血となる、、、そしてこのエネルギーはまた排泄され、循環しているのだな~と。。

 

そして一緒に食べてくれている人たち、、、会話がなくてもとても繋がっている感覚。安心感や安堵感。。。これは普段感じられないこと。。。

いつもなら何か話さなくちゃとか会話に意識が行っていて大切な存在のことを忘れがち、、、
私は一人じゃないんだという歓び、幸せを感じられる、、、♪

どんなものをどんなふうに食べるか、選ぶかによって自分を大切にしているか、ということも考えさせれる機会となります。この時だけ、毎食の5分だけでも、いえ、数秒だけでもそれらを意識するだけでも違います。

 

そんなことが感じられる食べる瞑想は「生きるとは何か」「食べることで何が満たされるのか」などの問いかけになります。

食べ過ぎてしまうとか中毒になってしまっている、などというのはきっと何か心の中に満たさないといけない感情や想いがあるように思います。

食べるという欲求は一番手っ取り早い行為なのです。
簡単に自分を満たしてくれる、、、他の欲求の代償としても行われます。

 

逆に心が病むと食べれなくなったりするのもわかりやすいですね。

食べる行為というのはどれだけ自分を愛しているのか、ということを教えてくれるでしょう。

そして、色々なもの、人への感謝となって心が穏やかに優しくなれるでしょう。

 

一緒に食べる瞑想しませんか?今度、「食べる瞑想の会」をやりたいな。
レストランで。みんなと一緒にやるとまた違う良さがありますよ~
自分との向き合いにもなりますので思いもよらないことが起きる。。。

ま、その前に7月で最後になります「カフェ・プラクティス」でやりましょう~^^

https://www.reservestock.jp/series_event/events_list/28876

 

 

 

※Facebook「セクシュアリティ」(自己受容と本質)グループ非公開

https://www.facebook.com/groups/384673228774874/

☆☆☆☆☆

ハンドリフレクソロジーハンドリフレクソロジー1Day講座

7/21(日) https://resast.jp/events/352107

 オキシトシンが増えるタッチング講座

7/28 https://resast.jp/events/351919

7/28 EFT講座

https://resast.jp/events/352490

7/30 9周年記念特別セミナー

10:00~ 「足裏分析【足を読み解く】プロ向けスキルアップセミナー

https://resast.jp/events/326461

14:00~「本当に伝わる手技【本気セラピストミニセミナー】」

https://resast.jp/events/322528

8/18 セクシュアルヘルス勉強会

https://resast.jp/events/356759

8/25 10:00~ まじめなセクシュアリティ講座

https://resast.jp/events/359577

8/25 14:00~ 医学とスピリチュアルからみた女性の身体トラブル

https://resast.jp/events/359578

 

 

 

終わりを設定して見過ごしているもの

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目的地に向かってばかり、、、最近歩いてませんか?

目的地があると途中で起きている周りのことが見えない。

必死で目的地へ向かっているから素敵な景色や誰かの声や気持ちい空気すら・・・

ちょっと立ち止まってみたらどれだけ「本当の現実」を「本来の人生」を

無視して生きてきたのか、、、を感じるかも。

歩く瞑想

 

歩く瞑想が教えてくれるもの・・・「いま、ここにいる」ということ。

瞑想はいまここを感じることですが
歩く瞑想はいつもいつも目的地や目的めがけて向かっている意識から離れることができる。
必死になって目的地に着こうとしている自分はそこにつかないとまるで死んでしまうかのように脅迫的に欲望丸出しで歩んでいる。

けれど、着いた途端ものすごい喜びと満足感を得たのもつかの間、また次を求める。

満たされている、と言えるのだろうか?

本当はその「歩み」のなかに喜びがあり、気づくものがあるのに。
意識が目的に「居る」と「わたし」がここに居ない。

私がここに居ない、ということは存在するためにしていることが全く無意味ということ。

まるで苦しみを楽しんでいるかのよう。

 

歩く瞑想が教えてくれるものは、先にある満足感ではなく「いまここにある満足」。

人生を生きるとは何かを手に入れることではなく、いまを幸せだと感じること。

 

目的地へ向かっているとき、頭の中には何が浮かんでいるだろう?

思考に支配されていると周りの出来事に気づかなくなる。それが意識だ。

意識とは向けてみて初めて観えるもの。

 

見過ごしているもの

 

八ヶ岳で朝の散歩。
目的地があるけれどなるべく急がずに歩こうと思えたのは景色のせい?
だって、もったいないよね、、、目の前にこんなに気持ちのいいものがたくさん!

森の木々、小鳥の声、苔の道、空気、、、

 

苔の道

都会では味わえない。沢山目の前に広がる大好きなものたち!
この環境に感謝!

これを味わわずに目的地へ行こうとしている一瞬の自分につっこみを入れつつ、ゆっくりと堪能しながら歩みを進めた。

きっと、目的地のことを考えていたらこの感覚を味わうことはなかっただろう。

あの木漏れ陽も見過ごしていただろう。
あの苔の道も、朝露も、野鳥の声も。。。

 

ゆっくりと。ゆっくりと。

人生もそうだよね。

いま、を感じていないと先のことばかり考えて、そこにいったら今度は次の目的地を考えて、、、そうやっていつまでも満足しない不足感いっぱいの日々を送るなんて・・・

昔の私がそうだった。

いまはいまを感じられて、幸せがここにある、ということを知れて本当によかった。
本当に人生を楽しむことができている。。。

意識をどこに向けているか、によって人生は変わる。
現実は自分の思考がつくっている。
時間も自分が決めている。
本当はそんなものないのに・・・

今を感じてないなんて、もったいない!

目的を定めずにただただこの足の裏の感覚、周りの音や空気、振動、身体の感覚を感じてみませんか?自然は意識を向ければそこにいつも居てくれて、守ってくれて、存在してくれている。

存在していない、と思って本当のことや大切なものを見過ごさないでね。
チャンスもそうやって見過ごしてきちゃってない?

目を開けば、ここに気づけば、いつもあったんだと気づくよ。

幸せは探すものじゃなくて、「あったんだ」と気づき、感じるものだよ~

終わりも目的地もない。ここにいよう。

☆☆☆☆☆

6/30 オキシトシンが増えるタッチング講座

https://resast.jp/events/345175

7/28 https://resast.jp/events/351919

7/28 EFT講座

https://resast.jp/events/352490

7/7 10:00~ まじめなセクシュアリティ講座

https://resast.jp/events/343811

7/7 14:00~ 医学とスピリチュアルからみた女性の身体トラブル

https://resast.jp/events/343812

 

ハンドリフレクソロジーハンドリフレクソロジー1Day講座

7/21(日) https://resast.jp/events/352107

★7/30 9周年記念特別セミナー★

10:00~ 「足裏分析【足を読み解く】プロ向けスキルアップセミナー

https://resast.jp/events/326461

14:00~「本当に伝わる手技【本気セラピストミニセミナー】」

https://resast.jp/events/322528

 

 

 

リフレクソロジーとマインドフルネス

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ホリスティックスタジオ・リケア長浜です。

昨日、ティクナットハン師の映画とマインドフルネス瞑想のイベントへ行ってきました~^^

ティクナットハン師は仏教の禅師ですが宗教を超えた世界的な平和活動をされているダライラマ二世に続く、とても有名な方です。

今では教育者や医療者など世界各国をお弟子さんたちである僧侶たちがマインドフルネスを伝えています。

沢山の気づきの体験を今度のカフェプラクティスにて一緒にシェアさせて頂ければと思います。

双葉お茶会(瞑想やお話本質への気づき「カフェ・プラクティス」

毎月第3木曜日 19:00-21:00

https://www.reservestock.jp/page/event_series/28876

そして、映画の後の質疑応答でリフレクソロジーとのつながりも実感したのです!!!

リフレクソロジーとマインドフルネスがどうつながるのか?というと、、、

私は以前よりメディテーションリフレクソロジーと呼んでいますがリフレクソロジーは治療ではなく自然療法です。ただ元に戻ることを後押しするものであり、身体のシステムに置き換えるとその基本は呼吸です。マインドフルネスも呼吸にかえることを行っています。

呼吸、拍動、歩く瞑想、食べる瞑想、、、すべてのリズムがリフレクソロジーと一致します。

映画の後の質疑応答で私はおもむろにハンドリフレクソロジーをしながら聴いていました。すると先ほどから行っている瞑想とぴたりとはまったのです。とても深い心地よさを実感!

頭ではもともと理解はしていたものの、実際に体感して納得しました。

だからリフレクソロジーは瞑想したときのようなマインドフルネス状態とその後の心身の安定、落ち着き、それによる症状の快復があるのか、と。

ただただ自分に帰る、、、。

とても共通しているんです!どうにかしようとするのではない、今ここに居る、ということ。。。どんな自分も受け容れ、抗わず、苦しみも歓迎する。。。

平和と静寂と慈悲。

単なるセラピーではない。そこに気づけて嬉しかったです^^

そして、自分への慈悲、労わるキモチが自然と出てきて愛おしくなりました^^

ここ数日、毎日ハンドリフレクソロジーを練習させてもらっていますが改めて自分で行ってみて、すごくきもちいことに気づきました^^

練習させてくれた友達は「子供がやってくれたらすごく安心する。キモチイイ!」と言ってました。これを必要な方に届けたいので色々と皆さんのお知恵もお借りできれば幸いです^^

 

ところで、僧侶たちと歩いているとそこで子供と遊んでいた若いお父さんが放った言葉に反応してしまった私。

「変な人たちがいるからちょっと待って」

とお子さんに言ってました。

びっくりしました。思わず声に出して輪唱してしまった(笑)でも、かつての私もそうだったのです。きっと、昔の私は茶色の服を着ている僧侶たちの姿を見て「変な人たちがいる」と思っていたことでしょう。

見知らぬものには人は恐怖をおぼえます。だから批判したり警戒することで防御します。お互いに恐れが生まれている状態。それもまた自然の摂理。大切なのはそこで反応しても受け容れて自分の呼吸にかえること。。。

歩く瞑想のときも「なんでノロノロ歩いてるんだ!」とばかりに急いですり抜けていく人や言葉を放つ人もいます。二度見していく人とか怪訝な顔する人たち(笑)

なんだか、私たちは普段からこういったことを常に行っているんだな~と思いました。そして、偏見や決めつけを持って判断し、線を引く。分離する。

危険を恐れて閉鎖的になっているのが現代なのかもしれません。

こういったことをやっていると宗教集団と勘違いされたりします💦私も勘違いされたら、、、と恐れが出ますよ。でも自分が信じることを恐れているというのは自分らしく生きていないということでもあるな~と、感じました。今の自分をそれこそ否定している。

そりゃあ、怖いですよね(笑)今までの世界と線を引いているんですから。。。

(※但し本当に新興宗教のように誰かが特別な存在というものは宗教であって宗教でないものですので本当の宗教とは全く別のもの、です。本来の宗教はマスターがいない。)

いざ病気にかかったり、苦しみの淵に差し掛かった時、行き着くんです。そこで自分がいかに偏見の目で観て、勘違いしていたのかを思い知る。(私の経験です)世界を狭くしていたと反省する。。。(※自分で行き着くのはいいですが他人の声で始めるのはちょっと違います)

セレブが始めたり、一流企業のトップ、有名人が始めると世間で知られるようになり、途端にスタンダードとして変貌する(笑)その都合の良いところだけ切り取って本質には触れずに表面的なところだけを。。。変な、怪しいものからツールへと変わり、本質を理解しないので流行りで終わったりしてしまい、本来の本質が伝わらずに勘違いされてしまうというのが世の常なのではないでしょうか?もちろんその中で気づく方もいらっしゃいますし、それもまたよしですが。。。

何も正しいものはないし、間違ったものもないのかな、と思います。

どんな宗教も生きる道筋を作ってくれるものであり、その型の中にはめられるというものではないこと。もし型にはめるものがあればそれは宗教ではなく、個人の我欲による弱さにつけこんだカルト教団です。それは宗教ではない。

この境目の見極めがつかないから宗教も一緒くたに否定してしまうことが多い私たち。

もともとすべての存在が「神」である日本人には致し方ないのかもしれませんが。でも、それも核の部分はどの宗教も神道も同じ。

私も偏見を持たずに常にオープンマインドで居たいと思った出来事でした。

さて、

自分がイベントの話を聴きながら一人リフレクソロジーをしていて感じたのはかなりマインドフルネスになれるということ。そして、どこがこっていて、ハリが残っているのか?とわかるのでとても面白い!自分の手からどこが疲れているか、などの情報も得られます。

意外なところが膨らんでたり、痛みがあったり。。。

いまここにいることができるリフレクソロジー^^

また一つ、リフレクソロジーの特技を知ることができました♪

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