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「これがいいですよ!」と言われると
それが自分の意見と違うことだと
まるでダメ、と否定されてる気がしませんか?
すると沢山ストレスになっていきますよね~
でも、否定をしているのではなく
単にこれいいよ!って言ってるだけなんですよね~
★
思考に惑わされる
自分の意見と違うことを言っている、、、とまるで自分が否定された気分になりませんか?
でも、本当は否定はしていないんですよね。。。
なのに、なぜか否定された気持ちになってしまう。。。
例えば、セクシュアルヘルスについて語っていると「セクシュアリティ」に興味がない人には全く響きません。
興味がない、というのは二通りあります。
否定している場合と元々当然のごとくあるので特別考えたことがない、というパターン。
セクシュアリティって命のこと。
容姿、外見、女性性、男性性、、、結婚、恋愛などなど。
SEXは生殖につながる大切なもの。。。(その他もろもろ)ですが、特にこれに特化した意見があっても別に自分に当てはまるとは限りません。
否定していた人には「必要」と思えることですが否定してこなかった人は特に何とも思えないのでどうでもいいことになります。
あるいは否定している途中とか。
否定してきた人間は自分が気づくと必要だ!と思っている人はそれを主張します。
私もそうだったからこそ「まじめなセクシュアリティ講座」やハンドリフレクソロジー講座をやっています。。。
必要なものはもちろん一人一人違っています。
答えは一つじゃないのでもし響かなかったらそれでおしまい。
でも、一つじゃないといけないような、二つ以上OKだといいかげんなようなそんな風にみえてしませいませんか?
反論することも無意識です。
必要なものは人それぞれで一つじゃない。それを決めるのは本人。
好き嫌いもそうですね。
「ええ!キノコが嫌いだなんて可哀想!生きている半分を損しているね!」
きのこ🍄=ヘルシー、美味しい
というビリーフがあるから食べれない人は可哀想だ、という現実になります。
本当に可哀想?
「いいえ、ぜんぜん(笑)私はいつもそう答えます。
損得で人生を考えてませんし、人それぞれで必要なものは違ってきますから。。。
人生は二者択一ではありません。
決めつけない
話は戻りますが、、、わかりやすいのでセクシュアリティをまた例えて・・・
セクシュアリティのことはかなりの方が反応されます。
違和感とか不快感とか。。。
罪悪感とか。。
これらを解放するといい、みたいなことを言われていますが
SEXがすべてではないですし、セルフプレジャーできてなくてもいい。
これを閉じていて解放するといい人もいるし。
ただ、必要だと思ったらどちらか一方の答えではなく、自分の選択をすること。
何が正しい、かは人それぞれ違いますから^^
例えば、「みんなができることができない自分」を否定することはないし、「朝晩3食」食べなくてもいいし、「結婚して子供をつくり、幸せな家庭」じゃなくていい。
幸せも人それぞれ。
決めつけない。
一つの考えに捉われないこと。
どうしても思考は自分を正当化させるために決めつけようとする。
それは仕方ない。
そこも受け容れつつ、そこに”はまらない”(陥らない)ように日々思考をクリアにしておく。
何が正しい、何が必要、、、私が思うものをシェアしているだけでそこに当てはまらないからと言って否定された気分なったり、相手を非難したり、疎外感を憶えることもありません。
人は違うもの。人はその違いがあるからこそ助け合える。違いを認めあう。他人ではなく、自分を観て、ジャッジしないこと・・・
そういうことが大切なんだと思うんです・・・
☆☆☆☆☆
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