新年会の憂鬱~「姑は強制すべきじゃない」

(アメブロからお越しの方は★からお読みください)

新年になると憂鬱なことがある。それは主人の実家の新年会。

新年会では家族という近い存在故の家族間の感情や関係の問題などがいろいろあるものですよね。

家族ゆえにモヤモヤするのは解決しようがなかったりする問題のせいだったり、

そこにはいろいろなビリーフが・・・

そんなモヤモヤをバイロンケイティワークで自己探求しました。

この世界をつくっているのは自分のストーリーだということを昨日も体験できました・・・

嬉しかったのでシェアさせて頂きますね^^

 

 

毎年、主人の実家の新年会はちょっとしたストレスの種です。

なぜなら、『嫁は働け』という強制を強いられるからです。(私の解釈です)

準備をする、片付けるという行為自体に否定感があるというよりも

『嫁は給仕するべき』とか『女は食事の用意をすべき』

という仕事を当然のごとく、強制、強要されるからです。(私の解釈で)

姑がすべてをコントロールして、すべての総監督。

『従わなければならない』のです。(と、信じ込んでいる私の解釈ね)

結婚してから毎年欠かさずに17年、17回ずっとやってきました。

やはり人は能動的にやったことに満足したいもの・・・

 

と書くと姑がとてもひどい人に聞こえそうですなのでここでフォローしておくと(笑)これは私のストーリーです。現実に起こっているので妄想や想像ではありませんがあくまでも私のめがねで見た世界と私のビリーフが作っているストーリーです。新年会に関する・・・。嫌なことは頭の中でより脚色されていきます(笑)

 

さて、私はこの『自主的に行う行為ではなく強制・強要されている』というのが一番苦しかったようです。(やった結果は同じなんですけどね・・・)

なのでテーマは「姑は強制すべきではない」にしました。

 

はじめの質問。「それは本当ですか?」

答えはYesです。

姑は私に「公恵さんはこれをやって」「○○(お兄さんの嫁)さんはこれをやって」とすべて指示します。初めから分担は姑が決めている。

次の質問。「絶対本当だと言い切れますか?」

言い切ることはできませんね。全部いちいち指示してはいません。最後は結局私が率先して色々とやってますから。

 

次の質問。「その考えを信じるとき、どんなふうに反応しますか?何が起こりますか?」

絶対に断れない、こちらに選択権がないことに理不尽さを感じている私が居ました。絶対に逆らえないし、文句も言えない。従わなければならないと信じ、身体が硬直して、緊張し、否定的な感情がわきます。何を言われるのか恐怖で警戒し、TVを見て歓談する他の人たちの声が聞こえてくるとなぜか自分だけがのけ者にされたような貧富の差があるような差別感(どんだけ~w)惨めな気分や「他の人は何もしないで楽だな」という不平等さが湧き上がる。皆に対しても恨めしい気分になって「新年会なんてなければいいのに」と思っている。

他にも普段から持っている姑へのビリーフがわきあがってきます。(今は関係ないのに!)

 

次の質問。「その考えがなかったらどうなりますか?」

なかったら、自分らしく自然体で居れます。自分のペースで動けて、自分から動いています。頭の中はただ食事の準備や後片付けのことだけを考えればよくて、先ほどのネガティヴな感情やストーリーは全くなくて、息も普通にできていてとても楽な気分。嫌々やってなくて心から皆が喜んでくれることをしていることにとても幸福感を味わっている。準備や後片付けをしていて楽しくすらある。(”やらされている”という気持ちがあると結果は同じでも全く別の世界になることを感じる)

そして、今後は毎年正月が楽しみになるでしょう。元旦、主人への愚痴もなくなって無駄な喧嘩もなく優しくできる。表情もきっと明るくなって周りの印象も違うかもw

 

次は「姑は(私に)強制すべきではない」文章の置き換えです。

真実味のある事実を3つ程度探してみます。。。あの場面において。少しでもあった事実。

(書き留めているわけではないので実際とは少しまた違うのが再度書きながら出てきました)

①「姑は(私に)強制すべきだ」なぜなら・・・

1、私に強制することで姑の感情が安定してあの場にいるみんなのため、私のためになっているから

1、強制して、指示をもらったほうがやりやすいから

1、強制されないと何をやっていいかわからずに逆にストレスになるから

1、強制しているというのは私の考えであって、実際には指示を出してくれているだけ

1、実際にはそれほど大変な仕事を強要されているわけではないから

1、こうして自分に向き合うワークをさせてくれるから

 

②「私は姑に強制すべきじゃない」なぜなら・・・

1、姑は強制すべきじゃないという想いを強制している。強制するのは良くないといいながら自分が姑に対して行っている

1、強制することは自分を苦しくさせているから

1、姑の領域であって、それをジャッジできないから。

1、私が「強制をやめろ」と強制したら抑えつけになってしまうから

1、「よそ者」「他人」という自分でつくった疎外感を現実化してしまうから

 

③「私は私に強制すべきじゃない」なぜなら・・・

1、その考えがあること、強制することで相手の領域へ入り、どうしようもできないことに不満を持ち解決できないことに執着しているから

1、冷静に物事を観れずに視野を狭くしているから

1、自分が強制されていると信じている自分を作りだしてしまうから

1、この考えを信じることで毎回嫌な思いを現実化して、自分のなかだけで起こして不幸になっているから

1、姑は初めに強制する(私の解釈で)言葉を言っているだけであとは全く強制していないのに自分の頭の中で延々と(しまいには一年中(;・∀・))「私は強制されている」と信じて自分で自分を苦しくさせているから

 

ひえ~~~

どれだけ自分で自分を苦しめていたのでしょう!

色々な真実が観えました( ̄▽ ̄)

いかに一人劇場だったかがワークすると分かって、笑えるの(笑)

なんだか”強制”されるのが楽しみになってきました(笑)

ビリーフのないオープンマインドな目でもう一度見てみると、強制される!と怯えていたのは私の中で起きている事だけで実際には姑はみんなが喜んでくれることを望んで新年会をやっていて、私も自分を護るために反応的になっていたことを少しでも感じたことで(すべてがひっくり返って解決するとまで行かなくても)見る目、世界、現実が変わりました。

一瞬でも^^(一瞬なったという事実だけで何かは変わってる・・・)

「強制される=自主的にできない」と言う点の一番の苦しみの想いに触れて、そこから本当の真実が見えて、来年は自分から積極的に色々と手伝って準備をして楽しい新年会にできそうな予感です^^

すべては自分のストーリー。

そんな自分もゆるしてあげつつ、自分と向き合い、探求をしていこう~^^

ケイティワークは一生の友^^

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投稿者: 家族の手が神の手!Holisic Studio reCare リケア

根津駅から徒歩1分の心身ケアルームの長浜公恵です^^ 心身一体として両面からの自然なケアを行っています。 ボディケア、メンタルケア、リフレクソロジースクール、他。 現在、個人セッションの他、「家族の手が神の手!プロジェクト」としてハンドリフレクソロジーで介護やセルフケアに役に立つケアの本質、タッチングやスキンシップの大切さを全国に広めるべく活動中! http://hsrecare.com 過去に原因を求めず、今ここに居ること。答えは外側ではなく内側にしかない。本質を見極よう。セクシュアリティ(本来の自分)に気づき自己受容して人生を楽しもう♪

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